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「あゝ、高間さんの奥さん。――さうですね」
「どこの訴訟だ。なに鍵屋、うん、相沢か」
「あゝ、お医者?」
対島つしま沖で日露海戦が行はれ、敗残艦の一部が日本海沿岸のこの地方の沖合までのがれて来て沈没したのは十年ほど前のことである。乗員は白旗を掲げてボートに分乗し、沿岸の砂浜に着いた。その前、海戦の最中には海岸附近の人家の障子が断続的にとゞろく砲声で鈍く不気味に響きつゞけた。もとより海戦が行はれていると知るわけもないので、たゞ漠然と不安だつたが、その気分の抜け切らないうちに、たとへ白旗を掲げているとは云へ突然現れたロシア兵達の姿に、海岸の住民は一時かなりびつくりしたものである。間もなく近くの兵営から軍隊が駆けつけて、それ等の投降兵を吉賀町附近の寺院に一時的に収容した。彼等がそこにいる間、附近の人達は毎日弁当持ちに草鞋わらぢばきで押すな押すなで見物に出掛けた。その当時、徳次は二十前の若者だつた。
かりるに当って女房が挨拶に行ったら、温泉のぬるいことを例外なく念を押して、
「へえ、――どうもごていねいなことで――」
「こゝの消防演習をやつたのだ。そんなに騒ぐことはない」
「先生、どうしなさる?着て行きますかい」
それは背広姿に、遠目にもはつきりと判る緑色のソフトをかぶつた男であつた。
「やっぱりチブスで?」
「それから、あれだが、今までよう訊かなんだが、――あれは、どうしたもんかの、大石さんの方は?」
彼は年に似合はず厚く生えた白髪まじりの頭を短か目に刈り上げ、多少猫背になりながら袴の両脇から手を差しこみ、心持肱を張つて坐つていた。それは何々翁肖像といふ掛軸を思はせるやうな古風な律義さと端正さを現はしていた。
「まさか!」